「特別支援学校」という名前が出てきて何年が経つのだろうか。
意外と、そこまで年数は経っていないのだが。
人それぞれ、様々な問題や環境があり異なると思うが、
「もっと勉強したかった」という声を聞く事が多々ある。
幼い頃は「親」の判断で、物事の大部分が決まる。
「子ども」の意思はどうなのかというと、あまり尊重されない場合が多い。
ましてや、「病気」や「障害」を理由に、
「子ども」の訴えが、他人に伝わるかというと。。。
ただ、メリットはある。
「コミュニケーション能力があがった」
「精神的に落ち着いた生活を送ることができている」
など。
しかし、デメリットとしては、
「普通級の子ども達と一緒に過ごしたかった」
「クラスをわけてほしくなかった」
「学校の廊下を歩くのが、つらかった」
「勉強をもっとしたかった」
という本人の意欲を満たすのが難しいのが現状なのだと思う。
今、大人になって大学へ入学を目指す人がいる。
また、高校進学の時に「内申点」が無かった為、普通校に行くのが不可能だった人が
「学び」にチャレンジしている。
客観的に他人から「ゆっくり過ぎて、できないのでは?」「●●だからできないよ。」と意見を言われるの
だろうけれども、
本人の意思が「したい!」なら、尊重させてあげるのが大切なのではないのだろうか。
チャレンジしようとしている「まなざし」を観るのが上手い指導者が、
世の中で少しずつ活躍している時代に突入していると感じる。
2018年5月3日 本田裕之
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