「貧困」ってなんだろうと考えることがある。
私は、小学2年生の頃に親と離れ離れになった。
自分が知らないうちに手続きがされ、ある日、突然お別れした。
そもそも、どうしてそのようなことになったかというと、
実の父親から虐待を受けていたからだ。
特に、額に残る刃物の傷は今も少しだけ残っている。
痛みを痛みだと感じなくなるまで、暴力を受け、
あるとき保護され、生きることができている。
その後、福岡で生活を送ることになるが、
食に何度もありつくことができずに、
栄養失調に2回(覚えている回数であるが)かかり病院に運ばれた。
その後、近所の人や友達の親御さんにご飯をいただいたり、
制服のボタンをつけてもらったり、
いろんなことを助けてもらいながら、
生活することができた。
福岡市の東公園で、透明の袋にお供え物のお米をいっぱい入れてもらって、
それで食をつないでいたことがあった。
お米を10回洗っても、虫が出てくる。
何度も何度も洗って、ようやくきれいになったら、
炊飯をする。
あの時は、必死に生きていたから、自分が「貧困」だと感じたことはなかった。
だが、周囲からは「助けなければならない子」とみられていたのだと、
後々気づいた。
何が言いたいかというと、「貧困」というのは、
もしかしたら、当事者は「貧困」だと気づいていないのかもしれない。
精神的な病気もそうだが、自分自身が当事者であると認識するまでは、
支援を受けることを躊躇するだろう。
当事者として受容して、やっと支援を受け入れることができる。
また、発達障害についても同様なことが言えるかもしれない。
本人が「困っていない」状態であれば、それは障害とは言えないかもしれない。
だが、自分自身の障害に気づき「苦しい」状態になったとき、
どのように発信したらよいのかわからなくなってしまうと思う。
ともあれ、本当に困っている人たちは、感覚がマヒして、そのまま倒れてしまう状況に陥ることが多々ある。
そのような人たちを支援するためには、傾聴や受容といったプロセスが必要なのだと、
自分自身の過去を振り返って感じる。
木村裕之
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